LOGIN「立場としては、お二人と似たような感じっす。ただね、佐藤さんの方から、内密にしてくれって言われてるもんでね。特に向井先生にはバラすなってね」
栗花落が困った顔で苦笑する。
「なんで、僕……。関わりたくないから?」
素朴な疑問だ。
普通に考えて、職を失う原因になった生徒と再会なんか、したくないだろう。今の自分を知られたくないとも、考えたかもしれない。
「そうでは、ありません。満流は貴方を守るために折笠の助手に入った。貴方を疎んじたりはしていません」
「僕を、守る……?」
理玖の呟きに、國好がはっとして、苦い顔をした。
「國好さん、内密の意味」
栗花落が諦めた顔を向ける。
國好が息を飲んで顔を真っ赤にした。
「佐藤さんは内緒にしてほしいんでしょうけど、俺と國好さん的には向井先生に佐藤さんの本当の気持ち、知ってほしいって思うんすよ。だから國好さん、中途半端な態度になっちゃって」
栗花落が國好の肩を叩いて慰めている。
國好が片手で頭を抱えている。
理玖は國好を見詰めた。
その視線を無視できなかったのか、國好が気まずそうに顔を上げた。
「懲戒免職に、なってから。更生するまでの約束として、満流は親父の所に通っていました。私立探偵のような仕事を始めて、軌道に乗るまで、八年くらい。俺は、その頃からの友人で」
國好の顔が赤い。
何ともぎこちない話し方のせいで、余計に気持ちが籠って感じる。
歳が近い國好と佐藤が友人になるのは、あまり不思議ではないと思った。
「向井先生の事件に関して、満流の口からは、ほとんど何も聞いていません。だけど、アイツがWO優先
「そうよぉ、だからママンはパパンが大好きなの。グランパもパパンが好きだったの、理玖も覚えているでしょ?」 ローラに問い掛けられて、微妙に頷いた。「好きっていうか、仲良しだったよね」 レイノルドが時々、理一郎に対して驚いたり微妙な顔をしていた意味が、今更分かった。 学者肌の人間には理解できない、理論や理屈を超越した人間だからだ。『ローラに定期的なSAフェロモン注射を行う。SMホルモンの分泌は規定値の倍。理一郎がローラの肌に接触すると更に増える。肌の触れ合いでフェロモンとホルモンの増幅を確認。出生前検査で胎児はonly』『出産後の第一次性徴確認の段階で、onlyが確定。フェロモン量が多く、スタンダード及びイレギュラーなフェロモンを検出する。間違いない、この子はrulerだ。実験は成功と仮定する。特異なフェロモンの開花を願う』『結果は成功と呼べるが、使用した薬剤の影響かは、厳密には評価しかねる。理一郎というotherに未知の要素が多すぎて判断しきれない。rulerを人工的に産むには親となるother側の要因も大きい。それについては仮説を得た』『生まれてきた子は玉のような男の子。理一郎ではなく、私に似た学者器質の脳に育つよう、毎日神に祈りを捧げている』 レイノルドの祈りは天に届いた。 理玖はレイノルドのクローンと言って誰もが疑わない程、瓜二つに育った。 科学者が神に祈りを捧げてしまうほど、理一郎はレイノルドにとってmutantであったらしい。『肌の色と顔立ち、目の色はローラの形質を受け継いだ。髪の色が唯一、理一郎だ。神よ、どうか私の知恵や知性をこの子に分け与えたまえ。可愛い可愛い私の曾孫、理玖』 最後の文字を晴翔の指がなぞった。「やっぱり理玖さん
「えっと、じゃぁ……、そろそろ僕の話を聞いてもいい?」 理玖はおずおずと切り出した。 自分が何をしに帰ってきたのか、忘れそうになった。「ママンの実験ノートは、これか?」 理一郎がローラにノートを手渡す。「違うわよ、これラットの実験。そっちの青いnoteね」 理一郎の目前に積まれたノートを理玖は、ぼんやり眺めた。「それ全部、グランパの実験ノートなの?」「そうよ。日本の実験ノートの一部よ。残りは蔵に仕舞ってあるの」「そんなにあるの?」 ローラが楽しそうに頷いた。「気になるなら、後で見てみるといいわ。今の理玖にならきっと役に立つもの。ロンドンのカレッジにいた頃は、長い休みによくスイスに行って、グランパの実験ノート、読んでいたでしょ?」 日本に帰るより近かったので、長期休暇はスイスの母親の実家に帰っていた。 レイノルド・シュピリの実験ノートの薬品関連を主に読み漁っていた。「うん、明日、見てみるよ」 ローラから青いノートを受け取って開く。 先に話していた通り、レイノルド・シュピリの体細胞によるクローン実験で、ローラは二回、流産している。(三回目は、グランパの体細胞の遺伝子を組み替えている。rulerを作りたかったのか) 恐らくこれが、臥龍岡が晴翔に話した実験なのだろう。 結果は流産だ。(そもそも臥龍岡先生が晴翔君に話した方法はふわっとしすぎていた。体細胞の遺伝子をいじった時点で同じ人間は産まれない。rulerの特徴をプラスするとはそういうことだ
「忠行が他の女性を愛しながら作った精子だもの。忠行の愛情はあの頃、晴子より実験対象のotherに向いていたの。晴子もそれに気が付いていたのね。迷いながら行った試験管ベイビーを晴子は無事に出産したけど。最初は抱きもしなかったのよ」 晴翔が言葉を失くして絶句した。 理玖は片手で顔を覆いながら、これまでを振り返っていた。「結局、その子を育てたのは忠行だったわ。実験相手だったotherの女の子も忠行の子を妊娠してね。でも……数か月後に突然、死んでしまったの。病死って聞いたけど、晴子が殺したのかなって、思ったわ。それくらい、あの頃の晴子は気持ちが淀んでいた」「まさか、そんな。いくら憎いからって、殺すなんて……」 そこまで言って、晴翔が言葉を止めた。「それくらい、やりそうだね。安倍晴子は間接的でも積木莉汐を殺して、折笠先生を殺してる。どっちも臥龍岡先生に殺させている」 晴翔が息を飲んだ。「その後は、晴子は実験したの?」 ローラが首を振った。「実験対象のotherが死んでから、忠行の体はまた元に戻っちゃったの。同じ実験はしないって晴子が言い切って、グランパは別の方法を模索してた」 それについてはノートに記載があった。『恋愛対象であるotherを失い、被験体onlyは生殖能を失う。 spouseの痣がパートナーを失うと消えるように、愛するotherを失ったonlyは体質が戻る結果が得られた』「その後、実験したのって、normalの体質をotherに近付ける実験? あとは、onlyのSMホルモン放出を薬で促す実験とか、か」 ノートを捲りながら確認する。
呆然とする理玖と晴翔をローラが不思議そうに眺める。 理玖は額に人差し指をあてて、思考を整理した。「え……っと。ママン、時系列で。日本に来た時のことから、なるべく詳細に話してくれない?」 理玖に促されて、ローラが考える顔をした。「そうねぇ。ママンは十五歳の時、レイノルドと日本に来たの。ドイツでしてた実験を続けられる場所が日本にあるからって、ママンのママンの代わりにね。秩父の施設に招いてくれたのが晴子だった。両親が持っている施設の中に実験室に出来そうな場所があるからって言ってね」 それが今のRoseHouseの前身となった施設なんだろう。 あの場所は児童養護施設になる前は理研の空き施設だったようだ。「安倍晴子とは、どこで知り合ったの?」「ドイツのグランパのexperiment roomよ。ママンはよく遊びに行っていて、助手をしていた晴子に遊んでもらっていたの。女の人、あの当時は少なかったからね」 三十年前の医学界は男性優位な社会だったろう。 海外の研究室に就職できたこと自体、幸運だ。「晴子は当時二十四歳で、日本の大学から飛び級してドイツのカレッジに入って、やっぱり飛び級で卒業した頭の良い子でね。グランパの実験室で働いていたのは、一年くらいだったかな」 大学を飛び級して地元の実験室に就職できるのだから優秀だったのだろう。(晴子は十八歳の時に前夫の子である千晴を産んでいるはずだ。日本に置いてきたのかな。その辺りの事情は分からないけど。大学に入学してすぐに妊娠出産してドイツへ……、って考えるのが妥当か)「グランパが日本に行く半年くらい前に晴子は日本に帰ったんだけどね。突然、連絡が来たんだって。実験の続きを
理玖と晴翔の肩をローラが包み込んだ。「本当に良かったわぁ、理玖。こんなに素敵な王子様に愛してもらえるなんて。さすが、理一郎と私の子ね」 ローラがゆっくりと理玖と晴翔の頭を撫でる。「晴翔は理玖がクローンでも、理玖を愛してくれたのね」「俺にとっては目の前の理玖さんが総てです。俺が知ってる理玖さんを好きになったんだから」 晴翔の言葉にローラが目を潤ませた。 自分の額を晴翔に押し当てた。「理玖にとって人生最大の幸運は、晴翔に出会えた奇跡ね」「それは、俺こそ……」 晴翔がいつになく照れた顔で言葉を詰まらせた。「なんだか、照れますね。俺は父親しかいないから、母親って、こういう感じなんだなって」「Oh……晴翔、貴方……」 ローラが気の毒そうな目を晴翔に向ける。「晴翔君は父親が二人いるんだよ。onlyのお父さんとotherの親父さん」「Oh! Amazing! 晴翔と理玖の子が出来たら、onlyのパパンに色々教えてもらえるわね」 ローラが嬉しそうに笑った。「じゃぁ、全部話しても良さそうだな。約三十年前の秘密。理玖にも話してないコト、たくさんあるぞ!」 理一郎が隣の部屋から、山のような資料を出してきた。「三十年前の秘密……。臥龍岡先生が俺に話していたことは、全部嘘……。って訳じゃ、ないんですか?」 資料を眺めて、晴翔が問う。
和風の部屋の大きな卓に、大皿でサンドウィッチやスコーン、ケーキが準備されていた。 紅茶が数種類とコーヒーもある。「ケーキはラズベリーのムースとモンブランにシュークリームね。晴翔は苦手な食べ物、ある?」「いいえ、好き嫌いはないです。どれも美味しそうです」 ローラが嬉しそうに晴翔にコーヒーを差し出した。「ミルクティはアッサム、あとはダージリンだけど?」「ん、最初はダージリンで」 理玖はいつもの通りに返事した。 陶器を湯で温めると捨てて、茶葉を蒸らし始める。「本格的ですね」 晴翔が感心したようにローラの手つきを眺めた。「これでも簡単にしてるの。本格的にやると時間かかるからねぇ。ちゃんと蒸らして淹れた方が美味しいけどね」「晴翔! サンドウィッチも美味しいから、食べろ! スコーンも焼きたてだぞ!」 理一郎がスコーンにクロテッドクリームを塗って頬張る。 二人の間ですっかり晴翔呼びが定着している。 晴翔が笑顔でサンドウィッチを手に取った。「御言葉に甘えて、いただきます……。そっか、ローラ・向井先生の手作り。普通ならお金を払って食べる料理ですね」 晴翔が臆している。 確かに母はレストラン料理の監修やコンビニとのコラボなど手広くこなしている。「只の家庭料理だよ。専門家とプランを練って作っている訳じゃない」「そうよぉ、気にしなくっていいから、じゃんじゃん食べてね」 促されて、晴翔がサンドウィッチをパクリとする。「やば、うま…&hell